打ち消すようにゆりゆららららゆるゆり大事件

労働。久しぶりに忙殺としか言いようないくらい忙しい。新しいこと、知りようがないことを猛スピードでああでもないこうでもないと、知恵絞り!判断!責任!判断!が積み重なって押し寄せる。どうやっても出るマイナスをできるだけ最小限に収める行動。プレッシャーで心臓が早鳴り、疲労で傾く。いずれなんとかなるはずと思ってやってくしかない。

21時ごろ、明日会う予定だったパ氏に「疲れているから、予定を無しにするか、明日の朝のコンディションで決めさせてほしい」と送信。23時前に退勤して確認したが返信がなく、21時に寝られていいなと皮肉を思ってしまう自分が悲しい。この方は、予定が確定するとスヤスヤ寝てしまうところがあり時々むかつくときがある。完全にこちらの体調次第な話であり、本来すごくスヤスヤ寝ていただきたく、ありがたいのですが。

電車の時間まで少々あるので、サイゼでタパス的なものでもつまんで帰ろうかしらと思ったら、22時で閉店していた。これはこれで健康的でよろしいことだ。コンビニでチキンと大きいカニカマとぶどうジュース買って食べる。こんな時間にホットスナックを用意できているお店に感謝。ホットスナックは深夜にこそ本領発揮のはずなのにあまりおかれていない。(霜降りのラジオのネタメールで言っていた)大きいカニカマは初めて買ったけれど、この大きさのものを一人で食べてもいいんですか?というささやかな贅沢さを味わえるのもいい。さけるチーズも似たような嬉しさがある。

電車を待っている時におばあさんを見かける。田舎から出てきたての頃から、こんな夜中におばあさんが電車で移動していることが不思議でならなかった。なにか事情があるパターンもないパターンもある。深夜に移動できる手段があるというだけなのかもしれない。田舎でも、手段があれば普通のことなのかもしれないし、田舎にいた頃は子どもでこんな遅くに出歩いていなかったからエンカウントしなかっただけか?そういえば、全然本質が違う話だとは思うけど、わたしのおばあさんも閉店までパチンコ打ち、その足で我が家に寄るということがあったな。(生粋のパンチカーだった)景品のお菓子を携えて。コアラのマーチ、大体いちご味。

最寄駅で降りたタイミングで無意識のうちに玉置浩二の田園を選曲しており歌い出しに入った瞬間に、慰めてほしいという自らの魂胆に気づき、恥ずかしくなった。これが近くの人に漏れ聞こえていたら、(自分を鼓舞したいんだな)とまんまと思われてしまう。打ち消すようにゆりゆらららゆるゆり大事件に切り替えるけどこれはこれで疲れてる人っぽさがある。この時間に何を聞くのがそれらしいのか。顔に滲む疲労感がそれを上回り、何も取り繕えない。生きていくんだ、それでいいんだ。