視聴者プレゼントの棒読み感

過去いろいろあったことから現在心中ざわざわする、付き合い方模索中の友だちにおすすめのアニメを教える。心の腹の刺してもいい部分を差し出す気持ち。ただ、好きなものを共有しないとわたしが何も興味がないつまらない人間に思われてしまうような気がした。つまらない人間は付き合ってもらえない。多少のリスクを負わないと人間関係は進まないってことなのか。

ドラマの本編終わったあと、視聴者プレゼントを紹介するときの役者さんの棒読み感ってあるな。役を降りている方が本当なのに、素に近い方を嘘みたいにこちらが思ってしまう。

お金を貯める本をなにげなくぱらっと読んでみたら「ぬいぐるみなど置くだけで役に立たないもの買わない」と書かれていてスッと閉じた。ぬいぐるみは無条件に存在しているだけで役に立っている。出来る限り好きなものの切り離しをせず、好きなものに囲まれて暮らしたい。結局自分で自分に合うやり方を探してお金を貯めていくしかないのだ。ミニマリストにはなれない。

わりあいよくものを失くす。失くしたことに気づいたら、まずは軽くいつもだいたいここにあると思う、棚とか鞄の中とか探す。無いな、まあまあそのうち出てくるか、楽観視してその日は探すのやめる。数日経った日に、30分ぐらいかけて本気で探す。これで、見つからなかった場合、紛失が現実的に浮き彫りになってしまい多大なショックを受ける。まじでないやんけ…。そして何をしていても、失くしたもののことが頭の片隅にあり注意散漫となる。今日はそれでお気に入りのガラス皿を割ってしまった。

ハキリアリの本を読んでいる。蜂とか蟻とか社会性昆虫って面白い。本を読んでいる時は、いまの自分が停滞している感覚が薄れて助かる。また、1人でいる状況が当たり前のようになってくれて助かる。